原子力システム研究開発事業
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成果報告会開催

原子力システム 研究開発事業 成果報告会資料集

時間・空間スケーラビリティーを備えた統合原子シミュレーションの研究

(受託者)国立大学法人京都大学
(研究代表者)青木学聡 大学院工学研究科 講師

1.研究開発の背景とねらい

 本事業では、次世代原子炉材料への高密度放射線照射による材料脆化のメカニズムを明らかにするため、大規模並列計算環境を用いサブマイクロ秒、サブマイクロメートルの巨視的時間・空間スケールまで拡張可能な統合原子シミュレーションシステムを構築し、放射線照射損傷に代表される材料内欠陥構造の解析を行う。あわせて、放射線照射による損傷構造を高精度に測定する技術を開発し、シミュレーション結果と比較することで、次世代原子炉構成材の材料設計、劣化診断手法の確立に貢献することを目的とする。

2.研究開発成果

 本研究では多数の粒子の座標情報を直接扱うことのできる分子動力学(Molecular Dynamics, MD)法を用いた大規模粒子衝突シミュレーションシステムの開発を行っている。原子炉構成材料に対するシミュレーションの特長として、放射線の照射により発生する高速粒子の衝突に起因する欠陥の形成過程と、形成された欠陥構造の移動や緩和過程の統合が挙げられる。前者は数フェムト秒から数ピコ秒という短時間に生じる非熱平衡過程であるのに対し、後者は数マイクロ秒以上という熱平衡下でのダイナミクスを対象とするため、それぞれの外的条件に適した分子動力学シミュレーション手法を導入する必要がある。
 原子衝突過程では、高速で移動する原子が、急峻なポテンシャルの山を登り、また降りていく過程をとるため、このポテンシャル曲線を正確にトレースできるだけの短い時間刻みが必要である。しかしながら、原子衝突系においては、系内の少数の原子がそのような短い時間刻みを必要とするため、それぞれの原子の運動速度に応じて異なる時間精度を割り当てることで、計算の高速化が可能である。粒子を高速、低速の二種類に分け、それらの速度比をs として、
 1. 速く移動する原子に対しdt/2s の時間発展をさせる
 2. 遅く移動する原子に対しdt の時間発展をさせる
 3. 速く移動する原子に対しdt/2s の時間発展をさせる
という方法で原子衝突シミュレーションの高速化を図った。
約30000原子より構成されるNi結晶内におけるカスケード衝突シミュレーションにおいて、本手法を適用し、一般的なMDとの差異を調べた。図1に、1keVのカスケード生成原子(Primary Knocked-on Atom, PKA)の軌跡の誤差を示す。PKAは1ピコ秒という時間内に多数の原子衝突を繰り返し静止するが、その軌跡の誤差は最大でも1Å以内に留まっている。このとき計算に要した時間は半分以下となり、高エネルギーの粒子衝突の精度を維持しながら高速化が可能であることが確認された。
 一方、放射線照射により生成された結晶欠陥の長時間にわたる挙動を調べるためには、分子動力学法の枠組みを保ったまま、マイクロ秒の時間スケールでのシミュレーションを可能とする計算手法の確立が必要である。本研究では、多数の初期状態を用意することで状態遷移過程の探査を行うParallel Replica法と、系全体の温度を高めることで原子位置の揺らぎを増大させるTemperature Accelerated Dynamics(TAD)法を融合し、放射線損傷緩和過程のシミュレーションに導入した。手続きは以下の通りである。
 1. 高温状態(温度T h)でのシミュレーションの並列実行
 2. 初期状態からの状態遷移の検出(時刻t h)
 3. 遷移に必要なポテンシャル障壁(E )の算出
 4. Arrheniusの原理に従い、常温での時間加速率を算出する。常温をT lとすると、手順1〜3により得られた高温での状態遷移は、常温において時刻

に生じたものと仮定できる。
 5. 温度制御条件を更新し1へ戻る

 この手順に従って、固体Ni中に形成されたカスケード欠陥の緩和過程を調べた。固体中心より1keVのエネルギーでカスケード欠陥を生成し、これに対して初期温度を600KとしたTADシミュレーションを行った。100回のTADシミュレーションを行った場合の欠陥分布を図2に、またシミュレーションにより見込まれた時間加速率を図3に示す。このシミュレーションでは、1回のTAD計算につき1ピコ秒の状態遷移探査を10個並列で実施している。ここで図3より最大で数百ナノ秒の加速が得られ、100回のTAD計算により1マイクロ秒以上にわたる原子の時間発展を近似的に追跡できたことが分かる。またこのとき、カスケード欠陥が緩和すると共に欠陥のマイグレーションが生じていることが図2より明らかになった。このシミュレーションでは、個々の原子の種類が常に同定されるため、欠陥構造の時系列発展の詳細な解析が可能である。
 シミュレーション結果を実験により検証するためには、原子の位置分布を高精度に測定する技術が求められる。このために、高い分解能を持つエネルギー分析部及び高精度ビーム制御部より構成される高分解能ラザフォード後方散乱分析システムを構築した。C-Ni-C多層薄膜構造に対する分析を行った結果、1nm程度の精度で中間Ni層の膜厚が非破壊で測定できることを示した。また、シミュレーション結果のデータベースを構築するシステムのプロトタイプ開発を合わせて行っている。シミュレーションにより得られた原子座標データや、これより導出された多数の解析データのグラフ表示だけではなく、複数のデータの比較やシミュレーション条件による検索も可能とするようにシステムの改良を行った。

3.今後の展望

 原子力材料に特有な現象である、高エネルギー粒子衝突による欠陥形成とその緩和過程の解析を行うために、それぞれの現象に適応した分子動力学シミュレーションシステムの構築を行った。両者を統合することで、放射線照射損傷に対するサブマイクロメートル、サブマイクロ秒に及ぶ原子シミュレーションが可能となる。さらに本研究にて実施している、シミュレーション結果と直接比較可能な高精度原子位置測定手法や、巨大原子座標系に対するデータベース化、可視化技術の開発により、シミュレーション結果を多面的に解析、情報共有する環境を提供し、次世代以降の原子炉材料の設計に必要な照射損傷挙動のより詳細な理解に貢献することが期待される。
Japan Science and Technology Agency
原子力システム研究開発事業 原子力業務室